気まぐれ日記 2015年2月
2015年1月はここ
2月1日(日)「二つの仕事の成果をメール送付・・・の風さん」
毎年長く感じられる1月が終わって2月になった。2月は日数も少ないけど、1月が長く感じられるだけによけい短いんだよね。
一昨日の深夜Amazonに発注した本が届いた(依頼本の参考図書である)。開封してビックリ。違う本を注文していた。これは第二候補で、昨夜「やっぱり第二候補も注文しようかな」と迷って、あやうく注文しかけたところだった。ボケをあらためて痛感しつつ、急いで第一候補の発注をした。
某出版社向けのエッセイ原稿を書くため、天文学関連の勉強を継続していた。今日は、その中で、ネット上にアップされていた「宇宙〜未知への大紀行」という動画を、やっと観終えた。内容は少し古かったが、私にとっては初めての知識も多かった。中村士先生から送っていただいた『東洋天文学史』も今日で読了した。この本は最新の情報が実に丁寧にしかも私好みの几帳面な正確さで書かれていたので、読みながら感動の嵐だった。あと2回くらい再読したら、ボケた頭脳でもしっかり染み込むに違いない。お礼のメールも書くつもりだ。
というようなことで、某出版社向けのエッセイ原稿も、何度も書き直しながら、今日、送付することができた。採用されるかどうかは分からない。出版界は甘くはないのだ。
懸案の依頼本についても、ここ1週間必死に全体構成を考えていたが、就寝直前まで苦しんでいた最後の状態を出版社へ送付した。とりあえずスタートラインに立てたかどうかである。この本は、当初考えていたよりかなり内容が難しそうだ。たとえスタートラインに立てたとしても、油断することなく、また焦ることなく、時間と手間ヒマをかけて精根込めて作る必要がある。
2月2日(月)「強風の中のウォーキング・・・の風さん」
今日も8時間睡眠で起床。やっと超多忙から普通の多忙になったのはよいが、その楽になった分を睡眠に回しているので、起きている間の忙しさは変わらない。これまで、超多忙を短時間睡眠(半徹夜とか完全徹夜含む)で何とかこなしてきたのだ。消耗して失った余命も戻らないかもしれない。
昨日のボケの再認識が頭をよぎったので、今日からケチっていたある薬の服用を増やすことにした。どうせ効きっこないからと規定の3錠の3分の1つまり1錠しか飲んでいなかったが、2錠に変更した。まあ、これは気分の問題なのだが。いちおう頭脳が冴えるという魔法の薬だ。
今週の天気予報は、連日最低気温が0℃で、最高気温は1日に1℃ずつ上昇するが寒い。夕方になり、ワイフがウォーキングに行けることが分かったので、行くことにした。
ところが、外は強風である。いつものように海岸まで行ったら、海から吹く風で砂浜の砂が吹き付けてくる。口の中に入るとジャリっという音までする。こりゃかなわんと慌てて海岸から内陸側へ迂回した。
スーパーに着いて湯豆腐の食材を購入して、家路についた。
帰宅したら万歩計が7326歩を示していた。
2月3日(火)「今日も風の中ウォーキング・・・の風さん」
節分である。今日は7時間睡眠で起床。外は快晴。風はおさまっている。
朝食後、たまっている用事を一気にすませるため外出。JPへ直行し、通帳を一つ削減した(近未来のボケ対策である)。つまり口座を解約したのだ。近くの銀行でお金をおろしてから、JAへ寄った。振り込みをしてから少し走って、100円ショップで買い物。それからGSで灯油を購入した。原油安の影響で、この冬に入ってから、灯油の価格は10%以上下がった。産油国が減産しないので、こういうことになっている。一種の非協力ゲームで、囚人のジレンマと同じだ。当事者だけが苦しみ、第三者が良い思いをする。別に儲けているわけではないが、帰りに酒蔵に寄って日本酒を購入した。
昨日に続いて、今日も夕方からウォーキングに出かけた。外へ出ると、おさまっていた風がまた吹き出していて、昨日ほどでないにしてもちょっとガッカリ。
海岸に出ると、やはり風が強い。私は完全武装(今日はマスクも)なので平気だが、ワイフはたまったものではない。砂浜の近くにきたら、また砂粒が飛んでくる。慌てて海岸通りから内陸側へそれた。
またスーパーに寄って、タイムセールを利用して買い物をしたが、昨日の湯豆腐の材料が少し残っていたし、今日は日本酒もあるからと、また湯豆腐の材料を購入して帰宅した。ウォーキングをしている間に、夫婦漫才をすることになる。今日のお笑いは笑えない。ワイフはスーパーのタイムセールにこれまで関心がなく、気にせず買い物をしていたという。結婚して30年以上で「10万円ぐらい損しているな」と私が言ったら、「100万円以上でしょう」と平然と返してくる。
それでも今夜の湯豆腐は美味かった。自分で買った日本酒は盃で2杯しか飲まなかったが、十分酔った。
豆まきはワイフにまかせて、私は書斎で仕事。
2月4日(水)「後期の講義の結果報告・・・の風さん」
昼からキャメロンで名古屋へ。
ゆっくり走ったが、道路はけっこう空いていて、スムーズに走れた。
本山キャンパスに寄って、学生の採点済みレポートをそれぞれのポストに入れてきた。学生一人ひとりのポストがあるのは便利だ。
続けて、自由ヶ丘キャンパスへ行った。こちらは先生方のお部屋がある関係で、学生でにぎわっていた。というのは、卒論や修論の締め切りが近いからである。非常にお忙しい田村先生には申し訳なかったが、時間を頂戴し、後期の講義結果を報告するとともに、内容についてご指導を受けた。そして、次年度の講義の進め方について打ち合わせをした。
帰りも道路は比較的空いていて、1時間半のドライブで無事帰宅できた。
やることがたくさんあり、外出案件はあまりたくさんやらないことにしているが、名古屋往復は時間がかかる。
今日も短い時間だったが、懸案事項は少しずつこなした。
2月5日(木)「ドイツの思い出再現・・・の風さん」
現時点優先度が高いのは、今月のセミナーの準備と依頼本の全体構成作成だったが、緊急案件が一つ入った。
角倉研究会で出す論文集の初稿が届いたのだ。早急に校正して返却しなければならない。
これら3つが当面急がねばならない仕事だ。しかし、どれも一筋縄ではいかないものばかりだ。
今日は初めて初稿の校正に手をつけて、仕事量を見積もろうとしたのだが、できなかった。
時間切れで、夕方から電車で名古屋へ出かけた。
名古屋の長女と合流し、ワイフと3人でドイツ風居酒屋で思い出話をしようというのである。店は昨日のうちに予約しておいた。
予約したあった7時少し前に店に着いたのだが、もう客がたくさん入っていた。予約なしでは入れない人気の店だ。
ドイツでは、どこのレストランでも食べきれなかった思い出があったので、それを再び体験するため、少し多めに注文したのだが、狙い通りになった。
飲み物はそれぞれワンドリンクにしておき、ソーセージとポテトを2皿ずつと肉料理を3皿頼んだだが、完食するのが大変だった。
それでも、根性でデザートも2つ頼んだ。
私はビールを1杯(500ml)だけ飲んだのだが、アルコール度が高かったせいもあって、かなり酩酊した。
この店は長女は初めてだったが、楽しめたようだった。ドイツを思い出せた夜になった。
帰宅したら、なぜか急に左ひざが痛くなった。
留守中に若桜木虔さんの新刊『時代劇の間違い探し』(新人物文庫)が届いていた。今年は、何年ぶりかで小説の執筆も復活させるので、時代考証の勘を取り戻す必要がある。そういう意味で、タイムリーな献本を頂戴した。ありがたい。
2月6日(金)「内需低迷の中・・・の風さん」
6時起床。最近にない早さ。外はまだ真っ暗だ。
最寄りの駅、7時12分発の電車に乗った。今日はJMA生マネ研(生産技術マネジメント研究会)の企業視察である(今日はT自動車)。
集合場所には大楽勝で到着するはずだったが、1回目の乗換駅で、階段を使わずエレベータを待ってしまったため、予定した電車に乗れなかった。それでも、ここから1本遅れても大丈夫のはずだった。ところが、次々にやってくる電車が、それぞれ行き先が違うため、どれに乗ったらいいのか分からなくなってしまい、結局大きなタイムロスを発生させてしまった。結局、集合場所から迎えのバスに乗ることができず、一人でタクシーで向かう羽目に……。
それならそれで、自己責任で仕方ない話だ。
到着してみるとT自動車のロビーで皆まだ待機中だった。そこに、なんとあこがれのレクサスLFAが置いてあった。残念だったのは、さっきまでエンジンをかけてサウンドを堪能していたという。ボンネットも開けてあったという。私も左ハンドルの運転席には乗り込んでみたが、座った感触が(無駄のない空間にすっぽりはまって)胸が高鳴る感じだったので、よけい悔しかった。世界で500台しか生産されなかった4000万円近いスーパーカーだが、それだけの価値があるとハンドルを握っただけで実感した。
内需の低迷で、これまで伝統的には60秒タクトのラインが90秒ほどで稼働していたため、いくら工程集約して作業者数を減らしているとはいえ、活気のない製造現場を目の当たりにして、寂しい思いがした。それでも、良いクルマを作ろうという合言葉の下で、従業員が努力している姿は美しい。
帰りは順調に乗り継いで、7時前に帰宅できた。
2月7日(土)「友人の工房と作品群に圧倒された・・・の風さん」
角倉研究会で出す論文集の原稿の初稿校正を終えるのが今日が最初の仕事だったが、昨日知人からワイフに入った情報で、友人の陶芸作品が展示されている展示会に急きょ行くことになったため、校正は途中までとなった。
会場まではキャメロンで突っ走っても1時間かかる。
到着すると知人は既に到着していた。知人と書いているが、縁が深いので友人と書いてもいい。女性である。陶芸家の友人は男性。
西三河地区の人たちの書から絵画、彫刻、工芸そして陶芸にいたるまでの厳選された作品展なので、作品のレベルは高く、とうぜん来場者も多い。
友人の陶芸だけでなく、展示してある主な作品をすべて解説付きで鑑賞できた。
続いて、友人の提案で、彼の工房もある自宅を見学させてもらうことになった。以前から楽しみにしていた企画だったが、なかなか余裕がなかった。今日は、この見学に興味をもっていた人間が集まったので、絶好のタイミングでもあった。
3台のクルマを連ねて、たどり着いた友人宅は、外観がタイル張りの幾何学的形状で、モダンで洒落た美術館という印象だった。
庭にある窯のある工房は、足の置場もないほど作りかけの作品や道具類でいっぱいで、その雑然とした雰囲気そのものが作品といってよかった。
自宅に入れてもらうと、1階はいつでも来客を迎え入れることができようにレイアウトされ、芸術談義ができるように自分の作品(陶芸だけでなく絵画やパッチワークなど)で空間が埋め尽くされていた。おそらく何時間でも話ができる、ネタの宝庫だろう。
隣接する大きな部屋は床がコンクリート打ちっぱなしで、そこも屋内工房になっていたが、そこまで自由にやらせてくれている奥さんに友人は頭が上がらないに違いない。
貴重なお皿をたくさんもらい、私たちは満足感と衝撃(ああ、とてもここまで真似できない〜)を抱いて帰宅した。
帰宅してすぐ町内会の新組長会というのがあり、次年度の役員を選ぶ作業があった。
我が家はこれまでに2回役員を経験しているので、できれば未経験の人に役員になってほしかった。
うちの所属する2組では、11人の組長から3人の交代役員を選出する必要があった。しかし、11人の中には、選出対象外が2人と事情で役員をやれない人が4人いたため、5人の中から3人を選ぶことになった。1人手を上げてくださる方がみえたので、4人の中から2人ということになった。
4人の中ではうちともう1人が役員経験者で、未経験者の自主参加を促したが、応じてくれなかったので、あみだくじで決めることになった。
経験からいえば、役員の専門部長としての仕事はけっして大変ではない。それより、役員の1人として、町内会の行事すべてに参加することが大変だった。
これから衰退の一途をたどるしかない地域の、最後の元気な活動になるだろう。
あみだくじでは、私ははずれたが、もう1人の経験者がまた当たってしまった。
10年後くらいにまた組長が回ってきたときは、町内会は確実に老齢化が進み、とうぜん世帯数も減少しているだろう。元気で動き回る力がなくなっていたら、そのときは私もまた役員をやっていい。老人代表だ(笑)。
やりかけていた初稿の校正を完了したのは、午前1時半だった。
2月8日(日)「多忙の理由は老いぼれか・・・の風さん」
退社して10ヶ月が経過し、最近ようやく普通の忙しさになったかと喜んでいるのだが、それでもけっこう忙しい。体力の衰えによるペースダウンが想定外だからかもしれない。今は亡き父が60歳で高校の校長を退職した。今なら、その後の活動が色々とあり得るのだが、当時はほとんどなかったようだ。父は現役時代と変わらず元気で、うっとうしい存在だった。しかし、今の私はどうだ!? 当時の父よりも元気がない(たぶん)。34年間の会社人生はやはり虚弱児の私には激務だったのだ。いや、自分で自分に激務(50代での会社員・作家・学生は超ハードだった)を課し過ぎたのかもしれない。
朝からときどき小雨が降るあいにくの日曜日になった。毎日が日曜日……じゃなくって曜日無関係の私には関係ないが、それでも気分的にはパッとしないので、予定より遅れていた散髪に出かけた。文庫本を携えてキャメロンに飛び乗った。入社した1980年以来利用している理容店なので(実は歯科医院も)、往復にべらぼうに時間がかかる。というか、昨日とほとんど同じコースで往復した。文庫本はかなり読み進んだ。
今日はもう一つ気にかけていて遅れていた仕事に手を出した。昨年末から届いていた保険や年金関連の郵便物を一気に開封したのだ。
ためこんでいた罰が当たって、すぐに記入して投函しなければならない書類もあって、ワイフとの相談は深夜に及んだ。
2月9日(月)「多忙は多忙・・・の風さん」
昨日とうって変わって快晴だが、外は風が冷たく寒い。
朝食後、昨夜あらたに増えた仕事も抱えてキャメロンで出かけた。
JP(郵便局)へ直行して郵便物の投函や保険の手続きや送金処理をし、近所のUFJのATMで現金をおろし、JA(農協)へ行き預金をし、コンビニに寄ってATMで振り込みをし、ケーキ屋に寄っておやつの和菓子を買い(これはオプションね)、エイデンに行って大量消費しているインクカートリッジと上腕型血圧計を購入し、帰りにGS(ガソリンスタンド)で満タン給油した(今回の燃費は12km/L)。
帰宅して、東京の某出版社へ電話し、金曜日の打ち合わせの約束をした。
その後、おやつにしながら、ワイフに業務報告をし、ついでに上腕型血圧計を使用してみた。
手首型血圧計をこれまで使用していたのだが、病院から不正確だから上腕型にしなさいと指導されていた。
確かに手首型では、病院で測定するより高い数値が出ていたので、自宅でも病院と同じ上腕型にすることは意味があるような気がしていた。
ところが。ところがである。上腕型でも同じように高い。試しに手首型でも測って何度も比較してみたが、有意差があるとは思えなかった。
しかし、これからは上腕型で測定して、次回そのデータを病院へ持参しようと思う。しかし、また薬は変更になるだろう。
夜は、依頼本の勉強とセミナーの準備に取り組んだが、あまり進まない。
2月10日(火)「夕陽を見ながらウォーキング・・・の風さん」
いつものようにしっかり寝て目覚めたが体が動かない。腰も痛い。古木のように肉体が老化している感じがする。
最近血圧は1日3回測定することにしている。上腕型にしてから常に高くなってしまった感じがする。
週末から来週前半にかけて、久しぶりに仕事が集中しているのだ。どうやらそれが原因らしい。会社員時代も、管理職になって血圧は上昇し、同じ管理職でも完全に任されるようになると次第に下降していった。今は、ペースは遅くても、少しずつでも、毎日仕事を進めていくしかない気がする。
とにかく体調があまり良くないので、仕事をしながら、できれば今日は筋トレに行こうと思っていたが、あまり進捗がよくなかったので、やめることに決めてダイニングへ降りて行ったらワイフとバッタリ。「さあ、ウォーキングへ行くよ」だって!
ワイフの体調が良くないと機嫌が悪いので、付き合うことにした(笑)。
今日は風がなく、これなら気分よく歩けそうだった。しかし、空気は異常に冷たく、唇がこわばって会話が困難だった。
海岸へ出ると、海は穏やかで、夕陽が美しかった。
夜、来週のセミナーのタイムスケジュール(案)を考えて、それをメールしたところで今日の仕事を終えたのだが、既に午前1時半過ぎだった。
2月11日(水)「インドカレーランチ・・・の風さん」
ワイフがお勧めのインド料理のレストランにランチを食べに行った。
チェーン店らしいが、店の外観も内装もガラクタばかりのおもちゃ箱みたいだった。それでも客がどんどん入ってくる。子供連れが多い。祭日だからだろうか。気楽な雰囲気は騒々しい悪ガキを連れてきても安心なのだろう。
当然カレー(辛さレベル5)を注文した。4人の風貌はインド人(男)が働いていて、テキパキと料理したり運んだりしている。楽しそうだ。
ランチも個別メニューも安い。客は多いが売り上げはたいしたことないだろう。それでも祖国への仕送りかあるいは持ち帰る金額はそこそこのものになるはずだ。ナンを焼いている様子をず〜っと眺めていたが、いつまで見ていても飽きない。ここのナンは美味しかった。
キャメロンで帰宅するときに、屋外に設置してある大きな温度計を見た。13℃だった。最近6℃の日が多かったので、今日の気温の高さは特別だ。春は確実に近付いている。
帰宅したら、楠木誠一郎さんから新刊が届いていた。今年はペースが速そうだ。私も頑張らねば。
新刊はシリーズの第2作だな。コスミック文庫で『子分は将軍様 天下無双剣』である。アイデアが売りだな。勉強になる。先週、楠木さんの『鬼面同心隠剣 家慶幽閉』(静山社文庫)を読んだ。実に力のこもった作品で、文庫にしておくのがもったいないと思った。
夜、来週のセミナーのディスカッションの進め方を考えて、それをメールしたところで今日の仕事を終えたのだが、また午前1時半になってしまった。
2月12日(木)「やはり仕事がのろい・・・の風さん」
明日の朝は早く、上京して用事がたくさんある。今日はなるべく早く仕事を終えて、明日に備えてさっさと寝るのが理想である。
しかし、朝の寝覚めからその目論見はもろくも崩れ去った。
寝坊したのである。
そもそも昨夜も遅かったのでどうしようもないか……。
明朝までに来週のセミナーのテキスト(案)を作成して送ることにしているので、とにかく今日はそれから着手した。
夕方まで頑張ってはみたものの、前途はまだ杳(よう)として知れない大海原のような感じだった。
今日も筋トレは断念してテキスト作成、と思っていたら、一昨日の悪夢の再現となった。ワイフが「買い物から帰ってきたら、ウォーキングに行こう」である。来週は1日もウォーキングできそうもない、というひと言は私への殺し文句になった。
準備万端整えてワイフを待ち、日が長くなってまだ明るい外へ一緒に出た。ほとんど風がない。これなら楽に歩けるかも。
実は、数日来、血圧も高いが、両ひざも痛いという老いぼれ症状が出ていた。
まっすぐ海岸通りへ出たら、海はまだ穏やかだったが、突然風が強くなってきた。自然の変化は恐ろしい。予定より早く海岸通りにおさらばした。万歩計は6630歩。
体を動かすと、やはり仕事ははかどる。気分的なものが大きいのだろうが、全身の血のめぐりもよくなるのだろう。
しかし、そもそも仕事量が多過ぎた。
テキスト(案)は諦めて、最低限明日の打ち合わせができるものを送り終わったのは、なんと午前3時ころだった。
就寝は午前3時半。
2月13日(金)「東京とんぼ返り・・・の風さん」
目覚ましの音で必死に起床。午前6時である。ということは睡眠時間は2時間半。
日が長くなったとはいえ、まだ外は真っ暗。
通常の朝の最初の仕事は、トイレの中での英語の勉強だが、今日は中止。
ワイフに送ってもらって、最寄りの駅を7時12分に出る電車に乗った。運良く座れた。
新幹線と地下鉄などを乗り継いで、目的地(JMA本部)に着いたのは午前10時20分ころだった。
12時まで打ち合わせをして、いったん私はそこを出た。
午後1時からある出版社との打ち合わせを約束していた。タフな打ち合わせになることが予想されていた。それで最近、血圧が高いのかもしれない。
しかし、長い会社生活の経験から、苦しいときほど前進していく方が前途は開けることを知っている。それで、今日の打ち合わせになっているのだ。
昼食はコンビニで買ったパンとコーヒーですませた。
約1時間の打ち合わせは、互いの状況や考え方の交換という点で、非常によかったと思う。しかし、今後のことについては、まだ明確なあるいは具体的な計画まではできなかった。それはそれで仕方ないことだった。
再び地下鉄を乗り継いでJMA本部に戻った。
午前中の続きを1時間半ほどやって別れたが、来週のセミナーへ向けて、気持ちの上ではかなり準備できたと思う。ただし、テキストやスライド作成は、この週末の課題である。
午後8時に自宅の最寄りの駅に着いた。
今日、病院へ行ったワイフが迎えに来てくれたが、診察結果はあまり良いものではなかったみたいだ。
往復の電車で昨夜の少なかった睡眠を補給したが、疲労がドッと出てきた。夜は仕事にならなかった。
2月14日(土)「血圧の話・・・の風さん」
たっぷり寝て起床。これで失った寿命を取り戻せるわけでもないだろうが、せめて起きている間だけでも元気に、ということだ。
ところが、あいかわらず血圧は高い。何気なく測定している血圧で、今頃気が付いたことがある。上腕式と手首式で測定方法が違うようなのだ。つまり、装置による違い。
慣れた手首式では、手首をしっかり締め付けた後、ゆっくり減圧しながら測定している雰囲気。一方、今回購入した上腕式は、締め付けをゆっくりとおこない、最高点に達した後、一気に減圧している。こうなると、減圧時測定と昇圧時測定の2通りがあるような気がする。
医師や看護師がおこなうのはコロトコフ法(音を聴く)というそうな。それに対して、家庭用の電子血圧計はオシロメトリック法(振動を測定する)というのを使っているそうだ。どちらも減圧時に測定する。
我が家の血圧計は手首式でも上腕式でも、オシロメトリック法だろう。電子式だから測定は瞬時におこなわれるはずだ。とすれば、測定は減圧速度には依存しないはず。しかし、測定される人間の生身の肉体にとって、この昇圧速度の違いは何か意味があるような気もする。
気分転換に2週間ぶりに灯油を買いに行き、屋外タンクに補充した。価格が下がっているのはありがたい。
依頼本の構成の続きをやったあと、夜はセミナーテキスト作成の続きをやった。たった1枚のスライドを作るのに2時間以上もかけてしまい、また就寝が遅くなった。本当にこの凝り性はどうにかならないものか。
2月15日(日)「血圧が下がり出した・・・の風さん」
今日も昨日とよく似た1日を過ごしてしまった。つまり睡眠はたっぷり。でも、寝坊している間に宅配が2回来て、対応できなかった(ワイフは朝から実家へ出かけていていない)。
二日連続でよく寝たせいもあろう。血圧が少し下がっている。
今日は、セミナーテキスト作成の続きから始めた。これを夕食までに終えて、夕食後、メールで送付した。講演スライドの総仕上げは明日にする。つまり、東京のホテルで完成させることにした。
その後、依頼本の全体構成の続きをやって、これも出版社へメールで送付した。この全体構成に基づいて、18日に打ち合わせる約束をしている。じっくり書き上げるためには年末までかかりそうだが、出版社はそんな悠長なスケジュールは認めてくれないだろう。夏休み前までくらいかもしれない。そうなると、かなり大変になる。次年度の中小企業大学校の仕事が入らなかったことが幸いするかもしれない。
2月16日(月)「セミナー前日は雲一つない青空・・・の風さん」
今日はいつも行く総合病院のタイムリミットだった。どういう意味かというと、3ヶ月が経過して、初診扱いされない限界の日である。
手帳にはしっかり記入してあったのだが、近頃はまったく余裕がなかった。今朝、早起きして行くという方法もなくはない。会社の仕事じゃあるまいし、そんな無理をする必要もないだろう。しかし、現役の頃というか、若い頃は、業務上こういった無理が日常茶飯事だったな。
午前中にキャメロンでさっと出かけ、東京へ持って行くお土産を2個買ってきた。
昼ご飯を家でしっかり食べ、最寄りの駅まで歩き、電車で出発した。
名古屋から新幹線に乗り継いだ。今日は雲一つない青空で、どこまで行っても天気が崩れる気配はなさそうだった。これなら富士山がきれいに見えるな、と思っていたら、期待通りで、しっかりiPhoneで写真を撮り、家族のLINEへ送信した。
車中ではひたすら読書や資料読みに専念した。
品川のホテルにチェックインし、外出せず、明日のセミナーのスライドの最終チェックをした。時間オーバーを避けるため、極力枚数を減らした。
初めての一人での終日セミナーだが、準備にかなりの手間ひま(特に事務局との念入りな打ち合わせ)をかけたので、少なくとも事前努力で後悔することはない。
2月17日(火)「セミナー当日は雨から雪まじり・・・の風さん」
今日は父の祥月命日である。常滑のセントレアが開港10周年を祝っているが、父の葬儀に参列するため、開港した翌日の便に家族全員で乗って福島へ飛んだから、死んで10年になる。
この10年間は、自分にとって激動だった。ひたすら高い目標を設定し、次々に達成してきた気がする。今、父も母も健在だったら、その10年間の激動を、どう評価してくれるだろうか。でも、やはり、無理し過ぎだと言わるのがオチかもしれない。父そして母と、両親を見送るような大きな事件があったからこその無理だったかもしれない。そうでもしなければ、どんどん落ち込んでいただろう。
今日もその延長線上にあるチャレンジテーマ、終日セミナーの講師である。
気合を入れてホテルを出た瞬間足が止まった。
まさかの雨である。いや、まさかではない。油断の雨だった。天気予報をまったく気にしていなかったせいだった。東京雨男にしては大いなる油断である。
小降りだったし、駅まですぐだったので、とりあえず品川駅へ。明日も東京にいるので、傘が必要だと思った。
地下鉄の駅を出たら、今度は雪になっていた(みぞれに近かったが)。運悪く傘を売っている場所の近くを通らなかった。
JMA本部に着いてから、セミナーの準備はすぐに完了した。そして、一人また一人と聴講者がやってきたが、全員そろってみると、身内が多かった(笑)。現役のデンソーマンが2人とデンソーからトヨタグループの会社に移っている1人(もちろん親しい方)が含まれている。そして、さらに驚いたのは、2012年の生産技術者戦略会議で私の講演を聴いてくれた人が、今回のセミナーの講師が私だったので参加してくれたと言われたことだった。
今日は目いっぱい血圧も上昇し、セミナーが終わるころには疲労でヘロヘロ状態になっているかもしれないと恐れていたが、身内の参加と盛り上げのお蔭で、私自身は肩から力を抜いてベストを尽くせたし、他の参加者もリラックスして思う存分吸収してくれたようだ。
しかし今日は、重大なボケ1を記録した。連泊だったこともあり、ホテルの部屋に名刺を忘れてきたのだ。セミナーの参加者や、今夜の予定で会う人たちと交わすために名刺は絶対に必要だったので、昼休みの1時間を利用して、ホテルまでタクシーで取りに戻った。帰りはまた朝と同じように地下鉄を利用したので、午後のスタートには間に合ったが、用意してもらっていた昼食は断って、途中コンビニで買ったパンで済ませた。雨はまったく降っていなかったので、傘の購入も見送った。
夕方まで充実したセミナーができ、本部を出ようとしたら雨がまたしっかり降っていたので、本部の置き傘を借りることになってしまった。
今日はこれで終わりではなく、デンソーマン2人が計画していたA社との交流会に誘われて、私も参加した。本当に疲労困憊していなかったので、私も安心して参加したのだが、まるで旧知の間柄のような雰囲気の交流会だったので、驚きだった。A社の企業風土はデンソーと似ている気がした。
2次会まで参加してしまい、まるでセミナーの打ち上げのような感じだったし楽しかった。
2月18日(水)「精力的に動く東京雨男・・・の風さん」
達成感を味わった翌朝ということもあるのだろう。持参した手首式血圧計で測ってみたら、正常値だった。
ホテルをチェックアウトし、地下鉄一本で人形町にある出版社へ向かった。
雨は上がってなかったので、昨日借りた傘が役に立つ。紙袋には、ホテルがサービスで入れてくれた新聞が2紙入っていたので、濡れないように気を付けなければならなかった。
出版社との打ち合わせ(通算3回目)も、事前に検討結果を送付してあったので、スムーズに進行した。編集部長は昨日のセミナーにも興味を示してくれたので、配布テキストを用いて私の主張点を説明したら、かなり共感してくれて、私も嬉しかった。
昼食をはさんで打ち合わせを続け、次回へつながる終わり方ができた。次回は4週間後になるが、私としては本格的な作業に入れるくらい方向が定まった。
地下鉄で品川の東京カンファレンスセンターへ向かった。JMAの2015ものづくり総合大会が開催されている。昨日のセミナーの事務局の方もみえたが、今日は別の人と会うのが目的だった。総合大会は盛況で、申し訳なかったが、講演聴講を中座してもらって、1時間ほど公私にわたる話をした。
続いて、依然として降っている雨の中、高輪口へ出て、某出版社を訪問した。ここでも約1時間、編集者と次の企画について相談したのだが、私が持参した新しいアイデアにとても興味をおぼえてくれて、さらにしっかり検討することになった。
駅の構内のパン屋で先週に続いてまたドイツ風のパンを購入し、こだまのグリーンで家路についた。
2月19日(木)「血圧が高いので治療代も高い・・・の風さん」
やけに毎日忙しい。降圧剤が今日でなくなるため、血圧測定記録を持って病院へ行った。いつも超混雑の駐車場や待合室が比較的空いていた。
いつも通りのステップで診察になって、測定記録をもとに少しやりとりがあった。就寝前の数値は、午前2時だったりしていますなんて言うものだから、最終的にたどり着いたのが、不規則な生活だった。
「お仕事は何をされているのですか」「作家です」ああ、ばれちゃった(笑)。
前回と同じ処方で、もうしばらく様子をみることになった。支払いはけっこう高額だ。不健康は不経済。
明日、京都へ行くので、青空の下、そのままGSへ直行した。自動洗車機でキャメロンをきれいにし、400円ちょっと残額のプリカでセルフ満タン給油した。3リッターちょっと入ったぞ。
帰りに今夜の食材を購入して帰宅した。昨日買ってきたドイツ風のパンを食べるためだ。
夕食のために、ソーセージとポテトを温めてもらった。
今夜は、定例の「とこなめ会」が休会だった。
新鷹会の大先輩、辻真先先生の新刊が届いた。
表紙の絵とタイトル、帯のキャッチコピーが賑やかで、なかなか力が入っている。
タイトルは『にぎやかな落葉たち』。帯のコピーは「若者よ。自由をもとめて年(銃に×が上書き)をとれ」。グループホームが舞台になったミステリらしい。辻先生の柔軟な頭脳には、いつも圧倒される。
2月20日(金)「京都精華大学卒業制作展見学・・・の風さん」
10時少し前に出発したように、力みのない旅だった。
長男の京都精華大学卒業制作展を見学するため、ワイフと二人、キャメロンで京都へ向かった。
10ヶ月前にも似た京都旅行があった。私が会社を卒業し、俗に言う「毎日が日曜日」状態になった記念の旅だった(それほど大げさなものではなかったが)。とにかく、天気も好くて、気持ちがのびやかな状態で、桜を見に行ったのだ。あまりにも京都が近く感じられたので、毎月でも来られそうだと思ったものだが、実際は、ほとんど実現しなかった。
大津SAで昼食を摂ってから京都へ入った。天気は曇りがちで気温が低い。
長男の作品が展示されている京都国際マンガミュージアムへ行く前に、洋画や日本画などが展示されている京都市美術館へ先に行った。平安神宮のすぐ近くだ。本館は学部の卒業生の作品だけで、かなりの規模だった。漫画の勉強が主体の大学かと思ったが、そうではなかった。若者らしいパワーは当然ながら、レベルの高い作品も随所に見られ、大学の力を感じた。
精華大学と京都市の共同施設であるマンガミュージアムは、卒業制作展のために開放されていた。
蔵書の棚に並んだ漫画本の多さに圧倒されたが、実際にこれまで発行された漫画本をすべて展示したら、ドーム球場くらいの規模がないと無理だろう。日本の重要な文化の一つだ。私も漫画本で育ったひとりだと主張できる。
卒業制作は、京都市美術館の作品を見てきた直後だったこともあり、全体に質素で迫力がなく感じられた。長男の作品も同様。ただ、説明パネルの中に、すがやみつるさん(精華大学教授)のツィッターの記事があり、長男がお世話になったことを知り、恐縮してしまった。
長男は卒業制作展の実行委員長をやっているそうで、そのねぎらいの意味もこめて、イタリアンをごちそうした。人気の高いレストランらしく、混んでいて騒々しかったが、料理は美味かった。
午後11時に帰宅した。
明日は朝が早いので……と思いつつiPhoneを見たら、出動がゆっくりになっていて助かった。
2月21日(土)「JMAの仕事から町内会の仕事まで・・・の風さん」
JMAの生産技術マネジメント研究会のアドバイザーチェックの日だった。メンバーは昨日から泊まり込みで報告資料作成にかかっている。
第二分科会のアドバイザーは名大の小沢先生と私の二人である。今日は、朝一番から出動の予定だったが、進捗状況の関係でお昼からになった。
昨日でまたド貧民になってしまった(つまり現金の持ち合わせがほとんどない)私は、実はManacaも残額が乏しくなっていた。最寄りの駅から会場まで往復するだけの残額はなかったのだ。それで、よくやる手だが、途中駅に近い大規模駐車場にキャメロンをとめて、電車賃を節約することにした。しかし、実は、それでも残額が不足していて、駅でポイント還元してやっと往復の電車賃になった。
完成途中の報告資料を見せてもらったが、会社時代を思い出してしまった。
どういうことかと言うと、昇格前発表の部下の指導と同じだったからだ。ちゃんとした資料を作成する前に、部下が仕事の背景や最重要課題を認識させ、実際の行動の意味を理解した上で、力強く発表できるように延々と指導するのだが、それと同じ状況が展開されていたのだ。なぜなら、分科会のメンバーの中で最もよく理解している人が発表するのではなく、抽選で当たったメンバーが発表することになっていたからだ。これは、抽選で当たったメンバーにとっては、非常に良い勉強の機会になっている。そうでなければ、するするっと、仕事が進んで行ってしまい、彼は理解半分のまま研究会活動を終えてしまいかねなかった。
それが分かったので、私も、昔の気分を取り戻し、資料作成のアドバイスはもちろんだが、発表者の理解を助けるためのアドバイスに最も力を入れることにした。なかなか難儀な仕事だったが、彼にとってはもちろん、日本にとっても重要な仕事をした気がした。
5時半近くなって、私はタイムリミットになってしまったので、ひと足お先に会場を失礼した。
7時からの第2回組長会議に滑り込んだ。もちろん夕食はおあずけ(笑)。
今日の中心は部会への割り振りだった。
区長による配布資料の説明の後で、いくつか質問が出たが、ほとんどくだらない質問ばかりで呆れた。沈みゆくタイタニック号に乗船していることを、ほとんどの住民は分かっていない。数十年後には、ここは間違いなくゴーストタウンになる。
それでも、これから1年、組長として年間スケジュールがけっこう埋まりそうだ。
2月22日(日)「終日雑用処理・・・の風さん」
やっと一連の外での仕事が一段落した。今日から2週間弱で、たまっている仕事を着実に進めていかなければならない。
先ず、出版社に参考書籍を送る準備をし、日曜日だったので、わざわざ郵便局まで投函しに行ったが、今日の集配には間に合わなかった。どうせ明朝早くに投函はできないので、これでよし、としよう。
日中、突然の来客があった。町会議員の方で、選挙運動かと思ったら、いきなり私の『和算忠臣蔵』を取り出して、昨年の講演を聴講し、これも読んだが、地元にこんな人が住んでいるのはそれまで知らなかった、とおっしゃる。もう25年もここに住んでいるんですよ、と念を押したら、さらに驚いていた。
夕方、町の電気屋さんが来た。午前中に電話で温水洗浄便座のカタログをお願いしてあったので、それを届けに来てくれたのだ。ちょっと厄介な電気製品は町の電気屋さんに頼むことにしている。近年の大型家電量販店の進出で、町の電気屋さんは廃業に追い込まれることが多い。安価だからといって、何でもかんでも大型家電量販店やインターネット販売に頼るのはよくないと思う。
気まぐれ日記のまとめアップロードに続けて、たまっていた名刺をデータ入力してからファイリングしたり、今後のスケジュールを入れながら、同時並行でエクスプレス予約も一気にやった。
今日は、咸臨丸子孫の会の総会がある日だったが、また欠席した。もう何年も総会に出ていない。皆と会いたい。
2月23日(月)「今日も終日雑用処理・・・の風さん」
朝食後、キャメロンで出かけた。
JPで振り込み、UFJでお金をおろしたところで目の前が真っ暗になった。先週末で現金のド貧民になっていたが、通帳残高もド貧民寸前になった。入金がない限り、これ以上現金はおろせない。定期預金がないので、普通口座が赤字になる恐れのある数値になっている。
近くのJAへ行って、生活費をおろそうとしたらATMが故障で調整中だったので、別の支店へ向けった。そこで、今日のボケ1を記録した。
暗証番号が違います、というメッセージが出たのである。2回続けて失敗したので、窓口へ行き、事情を説明し、口座の内容を調べてもらったが、特に異常はないという。暗証番号は通帳を作った支店でないと確認できないとのことだった。暗証番号には絶対の自信がある私は、今度は、別のATMマシンに挑戦してみたが結果は同じだった。やっぱりダメでした、と窓口に一声をかけてから店を出た私は、風に吹かれたせいでもないだろうが、突然思い出した。UFJとJAの通帳の暗証番号は違うのだ、と。
3度目の挑戦をするために、店内に入ってATMに向かった。
できた!
恥ずかしいので、もう窓口に報告することはやめた。早くも今日のボケ1になった。
それからGSへ行き、満タン給油と灯油の購入をした。原油卸価格がこまめに反映されていて(そんなに敏感じゃないはずなんだが)、先週からもう値上げされていた。京都往復も含めて燃費は13km/Lほどだった。キャメロンの走りは素晴らしいが、それだけガソリンをよく食う。
この後、薬局で買い物をする予定だったが、ド貧民を自覚して中止。
auショップに寄って、契約内容からオプションプランを1つ削除してもらった。負担は少しでも軽い方がいい。
帰宅したら、昨夜のうちにすがやみつるさんから返信が届いていて、嬉しいコメントがたくさん書いてあった。いつも感じることだが、先生というのは本当にありがたい存在だ。長男はこの幸せをどれくらい実感しているだろうか。
これまで気になっていた古いベストセラー本を2冊(どちらも古本)、Amazonへ発注した。
2月24日(火)「春を感じるウォーキング・・・の風さん」
確定申告が気になるが、来月の2つの講演の準備を先にやった方が効率が良さそうだ。昨年12月のトークセッションを皮切りに同じ内容で連続しているからだ。今日は、2つの内の先になる講演のレジュメを作成して事務局へ送付するとともに、講演スライドもほぼ完成した。あと1つは明日完成させるつもり。
夕方少し早くワイフとウォーキングに出かけた。
風がないだけでなく、急に暖かくなってきた。そろそろ冬にサヨナラして春にこんにちはだろう。そういえば、我が家の庭の梅の木が咲き始めている。
海岸も穏やかで、今日は潮がずいぶんと引いていた。太陽の高度もまだ高い。
肉のタイムセールだったのでスーパーで買い物をして帰宅した。万歩計は7782歩だった。
今日もすがやさんからメールがあり、なんと学食で長男とバッタリ会って話したという。長男も驚いていたそうな。やはり先生はありがたい。
2月25日(水)「花粉症もやってきた・・・の風さん」
ワイフが名古屋へタカラヅカを観に行った。相当にはまっている。もともと紹介したのは私だが、そんなことはもう忘れている。
留守番している間に、来月のもう1つの講演スライドをほぼ完成させた。
しかし今日は、朝から目がショボショボ、鼻がぐずぐず、つまり花粉症が出ていた。だましだまし、仕事に没頭することで忘れようともしていたが、だんだん我慢できなくなってきた。思い出して、夕方からマスクを装着したが、手遅れだったようだ。頭まで痒くなってきた。夕方ワイフが帰宅するころには、強力な薬を服用した。
今日で、来月の2つの講演の準備がほぼできたので、気が楽になったせいか、血圧も落ち着きだした。会社でもそうだったが、私の場合、精神的ストレスと血圧の間には強い相関関係がありそうだ。もっとも、私を知る人は、誰も信用しないだろう。会社での仕事ぶりから、私はとんでもない精神力の持ち主と見られていたからだ。より困難であればあるほど、その課題に向かって行ったものだ。それが私の仕事のやり方だった。しかし、そのために、自分の心身はそれなりのストレスを受けていたのである。
就寝前にたまっていたメールを何通か送信した。
それにしても今日は、昨日のウォーキングのせいか、終日、左の膝が痛かったな。
2月26日(木)「やっと確定申告の準備に着手・・・の風さん」
朝から小雨がぱらついている。用心のため昨夜薬を飲んで寝たのだが、雨模様なら花粉症は心配ないだろう。しかし、油断はできない。
今日は、日本経営工学会中部支部の行事(研究発表会)も参加をやめて、たまっている仕事を片付ける計画だった。
比較的近いところにある算額に関して、数日前メールで問い合わせがあり、回答できなかったので、深川先生や小寺先生に問い合わせをしてあった。
今朝までに両先生からアドバイスがあり、また勉強になった。そして、その内容を問い合わせてきた方へフィードバックした。
たいした仕事をしているわけでもないのに、夕方、疲労を感じて書斎でダウンしてしまった。本当なら、そろそろ筋トレに復活しなければならないのだが、その元気が出ない。
依頼本の全体構成のバージョン3に取り掛かった。完成したら、これに基づいて来月打ち合わせをする予定である。1日でできるシロモノではないので、毎日少しずつでも手をつけたい。しかし、ながら仕事の家事が得意な女性と違って、毎日あらゆる仕事を少しずつ処理することは、男の私にはきわめて難しい。
夕食後、やっと確定申告の準備に着手した。昨年と同じやり方で、保管してある領収書やレシート類のデータ記入からだ。寝るまでに半年分を終えた。
今日は、研究発表会の参加を断念してまで時間を確保したのだが、思ったほど前進はできなかった。
2月27日(金)「今日も確定申告の準備・・・の風さん」
1年で最も短い月がもうすぐ終わってしまう。気持ちが焦り始めているが、マイペース以上に加速するのが難しい。
いつものように英語の本を少し読むところから1日が始まった。これは英会話の本で、豊富な会話事例集になっている。本当に、ほとんど知らない単語は出てこない。ところが、それらのよく知っている単語が組み合わさると、とたんに意味が分からなくなる。イディオムというほどでもない。日本語と違って否定表現で肯定の意味になっていたりするからだ。それでもめげずに読み続けてきたので、もうすぐ半分読み終わる。
昨日に続けて、今日も確定申告のためのデータ入力をした。昨年の後半は前半よりもはるかに忙しかったことが、こんな作業からも分かる。
昼に某出版社から電話があった。相談中の案件に対し、懸命に前進する道を探っているという。ありがたい話だ。もし前進し始めたら、良い仕事になるように頑張ろう。
来月の八重洲ブックセンターでのトークセッションが近付いてきたので、そろそろ知人への連絡も始めようと思うが、確定申告の準備が気になってなかなかできない。しかし、就寝前までに、とりあえずデータ入力をほぼ終えた。
2月28日(土)「仕事のジャンルが多過ぎる・・・の風さん」
少し早く起きて、確定申告のデータ入力の残りを一気にやった。さらに、依頼本の全体構成の見直し作業を少しやった。
昨日、生産技術マネジメント研究会の第二分科会メンバーからメールがあって、午後から自主会に出席して、アドバイスをしなければならなかった。
いつものように昼食にインスタントラーメンを食べて、すぐキャメロンで出かけた。30分くらい走ったところにある途中駅から乗って電車で行くのである。
ところが、今日もボケに近いヘマをやってしまった。
てっきりJMAの中部オフィスで自主会をやっているものと思い、行ってみるとロックアウトされていた。今日の自主会は金山だったのだ。
急いで戻った。
アスナル金山の屋外ステージ周辺が混雑していた。写真撮影禁止、立ち止まるな、などという読むだけで不愉快になる貼り紙が目に入る。
何だろうと首を伸ばしてみたら、ソナポケの文字。おおっ! うちの長女が握手会のために来ているイベントではないか。
自主会を6時半で失礼して家路についた。
もうアスナル金山の屋外ステージのイベントは終わっていた。
帰宅したのは午後8時前だった。
読みかけの時代考証本の残りを読破して、今年通算8冊目の読了となった。仕事のジャンルが広いため、読了の冊数が増えても、分野は色々で、なかなか知識の濃度は深まらない。気障な分け方をすると、人文科学、自然科学、社会科学の3つの科学分野が私の仕事のジャンルである。
就寝前に、支払調書と保険の証明書類をそろえ、これで確定申告のための全データがそろった。明日はいよいよ確定申告の書類作成に着手するが、朝からすぐできないのが悩ましい。やることはたくさんある。
2015年3月はここ
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